大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所尼崎支部 昭和49年(モ)578号 判決 1977年5月12日

申請人 井上広三郎

右訴訟代理人弁護士 藤原精吾

同 高橋敬

同 川西譲

同 上原邦彦

同 宮後恵喜

右藤原訴訟復代理人弁護士 田中秀雄

被申請人 昭和電極株式会社

右代表者代表取締役 大谷勇

右訴訟代理人弁護士 田中藤作

同 久万知良

主文

一  申請人と被申請人間の、神戸地方裁判所尼崎支部昭和四九年(ヨ)第一九八号地位保全等仮処分申請事件について、当裁判所が同年八月二日になした仮処分決定は、これを認可する。

二  申請費用は、被申請人の負担とする。

事実

《省略》

理由

一  懲戒解雇処分の存在

被申請人は黒鉛電極等の製造販売を業とする株式会社であり、申請人は、昭和三六年八月被申請人に雇傭され、以来被申請人の従業員として勤務しているもので、昭和四四年から同四七年まで組合の副委員長を、同四八年から現在に至るまで執行委員をつとめているものであるところ、被申請人は同四九年七月一〇日申請人に対し、同日限り懲戒解雇する旨の意思表示をなしたこと、右懲戒解雇の理由の要旨は、「一、申請人は、昭和四九年六月四日交通事故を起した際、偽名を用いてその事後処理を忌避し、被害者の訴えにより自主的解決を要請した被申請人会社の職制ならびに上司の指示、命令に対してもこれを無視して、終始反抗的な態度をとり続け、被申請人会社の統制を著しく紊したものであり、右行為は就業規則七〇条三号に該当する。二、申請人は、右事故の解決につき、被害者の訴えに対して全く誠意を示さず、もって被害者をして被申請人会社をも糾弾せしむる状況に至らしめ、被申請人会社の信用を著しく損ったものであり、右行為は就業規則七〇条八号に該当する。」というものであることは、当事者間に争いがない。

二  本件懲戒解雇処分の前提たる申請人の所為

《証拠省略》を総合すると、次の事実が一応認められる。

1  申請人は、昭和四九年六月四日午後五時四〇分頃、退社して、私用の自転車に乗って帰宅途中、被申請人会社の門から約三〇〇メートル位離れたバス停上田中町付近に来た時、歩道のポプラ並木の陰から、後で名前を知ったA、Bという二人の男がいきなり二手に別れて申請人の方へ飛び出してきたので、申請人はすぐに自転車を停めた。Bは申請人の自転車の前を斜めに走り過ぎたが、Aはいったん自転車の横を走り過ぎたあと、わざわざ引き返してきて、停車している申請人の自転車の前輪に足を接触させて転んだ。Aは申請人に向って「どうもすみません。」と数回繰り返し謝ったが、Bは右Aの様子を見もしないで、いきなり申請人の所へやってきて、「後遺症があるかも知れない。」「住所、氏名を名乗れ。働いている所はどこか。」と言った。これに対して、申請人は「逆戻りまでしてきて、わざと当っているのに、なぜ私が住所氏名を言わなければならないのか。」と反問した。Bはなおも執拗に迫ったが、申請人は、同年四月一二日に暴力団風の男数名に軟禁されたことがあり、その頃からいろいろとその身に不可解な事件が起っており、そのうちまた何かが起るのではないかと感じていたし、この接触事故も当り屋のようで不可解な点が多く、意図的に起されたものと直感し、しかもBが暴力団的な特有な言葉で突っ掛かってきたので、同人は暴力団員ではないかと思い、後難を恐れて、Bの問いに対し、名前は川口住夫という偽名を名乗った。しかし、どこで働いているかとの問いに対しては、丁度被申請人会社の北側の変電所のところだったので、「ここ(被申請人会社)で働いている。」と本当のことを答えた。すると、AとBは「甲子園へ行かねば」と言いながら、甲子園とは逆の方向へ急いで立ち去った。その時、Aはどこも怪我した様子はなかった。

2  同月一二日、BがAの代理人と称して被申請人会社にやってきて、申請人に対し、いきなり「あんたは轢き逃げをしたから、その補償問題がある。誠意をもってこれにこたえなさい。」と言ったので、申請人は「私は轢き逃げをした覚えはない。相手が自分の方から転んできておきながら、なぜ私の誠意の問題を言々するのか。私は名前を偽ったけれども、事故を起したわけではなく、補償という問題は発生しない。」と反論した。しかし、Bはなおも申請人が轢き逃げをしたと主張し、「あんたには誠意がない。会社の最高幹部を呼べ。」と大声で言うし、申請人は、近くの甲子園署に轢き逃げの被害届が出されているか問い合わせたけれども、その届出はなされていなかったし、自分としても轢き逃げをした覚えはなく、Bの言っていることは全く変だと思い、こういう問題については警察で調べてもらうのが一番適切だと考え、それに警察へ行けば自分一人で処理できると判断したので、Bに対し、「怪我をしているのならば、甲子園署に被害届を出したらどうか。そうしたら同署から調査にくるかあるいは私に呼出があるだろうから、その時は出頭していって、お話ししたい。だからそうして欲しい。」と言った。すると、Bは被申請人会社の幹部に対して面会を求め、応対した上川人事課長に対し、「自分の友人が六月四日の午後五時半頃、申請人の車に接触され、現在病気療養中である。申請人に対し右事故の補償問題を持ち出したけれども、申請人はとり合ってくれない。従って会社の方から説得する等して、これを誠意をもって解決するようにしてもらいたい。」旨要望した。上川人事課長は、その場に申請人を呼んで、Bの言っていることは事実か否か尋ねた。申請人は、当時いわゆる職業病問題で被申請人会社と対立していて、会社から挙げ足をとられないように警戒して、しゃべることに慎重になっていたし、この事件については警察で事実を明らかにしてもらい、そこで処理してもらうのが一番適切であり、そこで自主的に解決したいと考えたので、上川人事課長の右問いに対しては、「相手が警察へ被害届を出せばいいのではないか。警察から私に呼出があれば、その時は出頭して、しゃべる。」と答えたのみで、事故の内容については何も釈明しなかった。すると、上川人事課長が「それでは一緒に警察へ行ったらどうか。」と言ったが、申請人は以前に軟禁されたことがあり、Bと一緒に行けば途中でまたそういうことが起るのではないかと警戒して、同行することも拒否した。しかし、申請人が事故につき否定しなかったので、上川人事課長としては、申請人が事故を起したものと認めざるを得なかったが、右事故は単なる自転車事故であり、社会的にみても軽く、そういう問題は会社が関与すべきものではないから、当事者同士で個人的に解決するようにと、申請人に指示した。

3  同月一四日頃、C弁護士とBがAの代理人として、被申請人会社に来て、上川人事課長と木下工場長に会った。申請人は、この時も事故については否認もせず、ただ前同様、警察に被害届を出せば警察でしゃべる旨主張するのみであった。そこで、同弁護士は被申請人会社に対し、使用者の責任として、申請人に十分注意、説得して、善処するようにと強く要望した。

被申請人会社としても、申請人が会社外で起した自転車事故であるし、会社が関与するよりも申請人において自主的に解決することが望しく、そのため、その後、木下工場長、上川人事課長、谷口工務課長、荒木主任等をして、申請人に対し何度も、「当事者同士で十分話し合い、誠意をもって早く解決にあたるように。」と説得し、指示した。しかし、申請人としては、この事故は会社外で会社の業務とは無関係に起ったものと考え、「この件は警察で話したらいいことで、職制のあんた達の関与すべき問題ではないから、ほっといてくれ。」と言うのみで、相手方と話し合うことをかたくなに拒否し、職制、上司らにとっては反抗的とも思える態度をとった。もっとも、申請人としても、同月一四日に相手方が前記弁護士を代理人にたててきたので、自分も弁護士を代理人にたてようと考え、すぐに藤原精吾弁護士に相談し、この件はきちんと解決する気持で、その手立てを講じていた。

4  同月二〇日、C弁護士が告訴状をもって被申請人会社に来て、「前回会社に対し善処するように要望していたにもかかわらず、その後何の連絡もないので、このままの状態では告訴せざるを得ない。また、申請人が態度をはっきりしないのは、それを監督している会社の責任だ。従って、会社に対しても使用者責任として、損害賠償責任の追求も辞さない。会社の態度をもっとはっきりしてもらいたい。」と再度要望した。そこで、木下工場長が申請人に対し、「早く態度を明らかにするように。」と指示したところ、申請人は、「この件については自分の方も藤原弁護士を代理人にたてて、解決する。事故の内容は同弁護士からきいてくれ。」と言った。

5  同月二五日、工務課長から人事課長に対し、申請人に事件の決着の意思がないので、賞罰委員会にかけるようにとの要望書が出され、翌二六日、賞罰委員会が開かれた。その席上、申請人は事故の内容について釈明を求められたけれども、「ここで事故の内容をいう必要はない。警察に喚問されれば、そこで言う。」と答えるとともに、「藤原弁護士を代理人にたてて、この件は私の方でもきちんと処理する。事件の内容は同弁護士からきいてくれ。」と発言した。

翌二七日、合化労連中央執行委員の平城から被申請人会社に対し、「申請人を再度説得し、弁護士を代理人にたてて、この事件は申請人の方で責任をもって処理し、解決をはかりたいので、一週間の猶予をもらいたい。」旨の要望がなされたので、被申請人会社としても一週間待つこととした。そして、一週間たった同年七月四日に平城から被申請人会社に対し、「事故の内容に食い違いがある。申請人はむしろ被害者だ。」との主張がなされたので、被申請人会社はもう一度賞罰委員会を開くこととした。

6  同月八日、第二回の賞罰委員会が開かれ、その席上、申請人は初めて被申請人会社に対し、「自分は加害者ではなく、相手方から当ってきたものである。」等事故の状況を明らかにして詳しく説明するとともに、「これまで被申請人会社に事故の内容を言わなかったのは、私的な問題を会社がとりあげるのはまちがいであると考えたからである。」と釈明し、「この件で相手方が被申請人会社に対して責任を追求するのはおかしい。この事件については藤原弁護士を代理人にたてて、能分の方できちんと解決し、被申請人会社には迷惑をかけないようにする。」と言った。

そして同日、申請人代理人弁護士藤原精吾他一名からC弁護士に対し、「申請人の事故なるものは、被申請人会社の事業の執行と無関係に発生したものであるから、右につき話があるならば同会社にではなく直接申請人にあって然るべきであり、当方としても、お申出があればいつでも面談の用意がある。」旨通知した。

しかし、被申請人は、賞罰委員会の答申にもとづき、同月一〇日、申請人に対し、前記一に記載のような理由で同日限り懲戒解雇する旨の意思表示をした。

7  その後、申請人の方でAの受傷の程度と加療の状況を調査したところ、同人は事故後六日目の同年六月一〇日に初めて守口市の野川病院に行って診察を受けたものであり、それまでは他院でも診察を受けておらず、また右診察の結果では、右側頭部打撲等で約二週間の通院加療を要するとなっているけれども、同人はその後一度も同病院に通院していない。

以上の事実が一応認められ(る。)《証拠判断省略》

三  本件所為の懲戒事由該当性

《証拠省略》によると、被申請人会社の就業規則七〇条は「社員が次の各号の一に該当する行為があったときは諭旨退職、懲戒解雇にする。但し、情状の軽い者は役付格下、出勤停止に止めることがある。」と規定し、その三号には「職務上の指示、命令に従わず作業能力を低下させた者、または会社の統制を紊したり紊そうとした者」と、八号には「故意または重大な過失によって会社の信用を損ない、またはそれに類するような行為があった者」と定められていることが一応認められる。

そこで、前項認定に係る申請人の所為が、懲戒解雇事由たる右就業規則七〇条三号、八号に該当するか否かにつき検討する。

1  三号に該当するか否かについて

(一)  懲戒処分は企業秩序違反に対する組織上の制裁であるところ、従業員の職務遂行に直接関係のない所為であっても、企業秩序に関連するものもあり、それが規制の対象となりうることは明らかであるから、本号にいう「職務上の指示、命令」には、被申請人会社のためにその社員が担当処理すべき本来の職務遂行行為についての職制、上司の指示、命令のほか、右職務遂行行為と密接な関連を有する指示、命令も含まれるものと解すべきである。

そこで、本件についてこれをみるに、前記認定のように、申請人は、私用の自転車に乗って帰宅途中、Aが停車中の申請人の自転車の前輪に足を接触させて転倒したにかかわらず、同人から、申請人が起した交通事故により負傷したとしてその補償をするよう要求されていたものであるが、右接触事故は職場外でのいわば私生活上の所為であって、相手方の訴えによりこれを自主的に解決するか否かも、申請人が被申請人会社のために担当処理すべき本来の職務遂行行為でないことは明らかである。

それでは、右は職務遂行行為と密接な関連を有する所為といえるであろうか。本来、労働者の私的生活は自由であって、これに対しては企業の規制も及ばないのが原則であるが、前述のように、会社の組織、業務等に直接関連のない私生活の範囲内の所為であっても、企業秩序に関連するかぎり、例外的にこれを規制の対象となしうるものであるから、右の私的生活上の所為が職務遂行行為と密接な関連を有するか否かも、企業秩序の維持、確保という観点から検討する必要がある。そこで、この点からみるに、相手方が被申請人会社に対し、申請人を説得、指示して事故を誠意をもって解決するよう善処して欲しい旨強く要望していたにもかかわらず、申請人が誠意をもって相手方と話し合い、事故を自主的に解決することをしなかったとしても、後述するように、これが被申請人会社の社会的評価を特に低下毀損させるわけではなく、また他の従業員にその職務遂行上の能率を低下させる等の悪影響を与えることもなく、被申請人会社の企業の円滑な運営に支障をきたすおそれはないから、申請人が本件接触事故を自主的に解決するか否かということは、その本来の職務遂行行為と密接な関連を有する所為ともいえないというべきである。

そうすると、申請人に対し右接触事故の自主的解決を要請していた被申請人会社の職制、上司の指示、命令は、本号にいう「職務上の指示、命令」には該当しないといわざるを得ない。

(二)  申請人に対し事故の自主的解決を要請していた被申請人会社の職制、上司の指示、命令が、本号にいう「職務上の指示、命令」には該当しない以上、申請人がこれに従わなかったとしても、そのことを理由に申請人に本号の懲戒解雇事由ありとすることはできないというべきであるが、前記認定のように、申請人は第二回の賞罰委員会において、本件接触事故の内容についてかなり詳細に釈明するとともに、この事件については、藤原弁護士を代理人にたてて、自分の方で自主的にきちんと解決する旨明言し、同日同代理人を通じて相手方代理人に対し、本件事故については会社にではなく直接申請人の方に申出があればいつでも面談の用意がある旨申し出ているのであるから、申請人は最終的には被申請人会社の職制、上司の指示、命令に一応従ったというべく、この点からも、申請人の本件所為は本号の懲戒解雇事由には該当しないというべきである。

(三)  本号は前記のとおり、「職務上の指示、命令に従わず作業能力を低下させた者、または会社の統制を紊したり紊そうとした者」と規定されているが、右の「執務上の指示、命令に従わず」という事由と「会社の統制を紊したり紊そうとした」という事由との関係については、これに対する制裁が懲戒解雇であることからして、本号の要件を満すためには右の双方の事由を必要とするものと解すべきであるので、申請人が「会社の統制を紊したり紊そうとした」か否かについて、さらに検討することとする。

右規定の文理解釈上、「会社の統制を紊し」とは現実に会社の統制を紊したことをいい、「紊そうとした」とは現実に会社の統制を紊すには至らないが、統制を紊す意図もしくは認識をもって、統制を紊すおそれのある所為をなしたことをいうものと解すべきである。

そこで、申請人の前記所為が右の要件に該当するか否かにつき判断するに、前記認定のように、申請人は、最初のうちは、被申請人会社の職制、上司から本件接触事故の内容について釈明を求められても、「相手方が警察に被害届を出せばその時に警察で話す。」と主張するのみで、事故の内容については何ら釈明することなく、また、「相手方と十分話し合い、誠意をもって早く自主的に解決するように。」との職制、上司の説得、指示に対しても、「職制のあんた達の関与する問題ではないから、ほっといてくれ。」と言い、相手方と直接話し合うようなこともしなかったなど通常かかる事態に対処する姿勢としては硬直に失するものがあり、問題がないわけではないけれども、これらの点については、前記認定のように、本件は申請人がAから当り屋のように自転車に接触されたもので、同人を轢き逃げしたわけでもないのに、同人の代理人から会社でいきなり申請人が轢き逃げをしたといわれ、その受傷の補償を要求され、申請人が事実を否定して反論するや、「あんたには誠意がない。会社の最高幹部を呼べ」と大声で言ったりして、その言い分があまりにおかしいので、申請人がこういう問題については警察で処理してもらうのが一番適当であると考えるのはもっともなことであるし、申請人は当時職業病問題で被申請人会社と対立していたから、被申請人会社から挙げ足を取られないように警戒して、しゃべることに慎重になるのも推察できるところであり、また、本件接触事故は職場外でなされた私生活上の所為であって、被申請人会社の組織、業務等とは直接関係ないものであるから、これに対しては被申請人会社の職制、上司等が関与すべきではないと申請人が考えるのもむしろ当然であるし、さらに、申請人は本件接触事故については警察に被害届が出されれば、そこで被申請人会社とは関係なく自主的に解決しようと考え、それなりの手立ても講じようとしていたのであるから、申請人が右のように最初のうちは被申請人会社の職制、上司の指示に従わなかったことについては、一応それなりの首肯するに足りる合理的な理由があったというべきであり、しかも、前記認定のように、申請人は最終的には被申請人会社の職制、上司の指示、命令に一応従ったというべきである。右事実からすると、申請人が最初のうち被申請人会社の職制、上司の右のような指示、命令に従わなかった際、被申請人会社の統制を紊すことの意図もしくは認識をもっていたことを認めるには充分とはいえず、いわんや、それによって現実に被申請人会社の統制を紊したことは認めることができない。

(四)  以上のとおり、申請人の前記認定の所為は、就業規則七〇条三号に該当しないといわざるを得ない。

2  八号に該当するか否かについて

本号の規定は、従業員の責に帰しうる行為が、会社の存立ないし事業の運営に重大な悪影響を与えるようなものであり、会社の信用その他の社会的評価を毀損したと客観的に認められる場合に、これを懲戒事由としたものと解せられ、そして、従業員の行為が会社の信用を毀損したかどうかは、当該行為の性質、態様、程度のみならず、会社と該従業員双方の諸般の事情を衡量して決しなければならない。

本件の場合、申請人の自転車による接触事故は前記認定のような態様、結果を出でないものであり、前示各証拠によれば、右事故については、被害者から警察に届出もなされず、したがって警察の捜査もなされることなく、もとより新聞等により社会的に報道される性質のものではないこと、被害者の代理人らが会社で申請人および会社の職制に会った際も、責任追及にわたる言動はあったが、それ以上に喧騒や紛争等の事態は生じることなく、被害者の代理人は、会社には告訴状を持参して手渡したが、現実には告訴の手続などとることなく現在にいたっていること、被申請人は、前叙のような営業を目的とする会社で、従業員は当時約三〇〇名を擁する企業であること、申請人の同会社における地位は工員(起重機の運転手)であったことが認められるから、以上の諸事実を綜合すると、申請人の行為が被申請人会社の信用その他の社会的評価を毀損したものとは到底いいがたいところである。被申請人は、解雇理由において、申請人が、本件接触事故の解決につき被害者の訴えに対して全く誠意を示さず、もって、被害者をして被申請人会社を糾弾せしむる状況にいたらしめたことを、被申請人会社の信用を著しく損った根拠として挙げているが、それが根拠となるほどのものでないことは前叙のところから明かというべきである。

それ故、申請人は、故意または重大な過失によって被申請人会社の信用を損ない、またはそれに類するような行為をしたものとは認められず、申請人の所為は就業規則七〇条八号に該当しないといわざるを得ない。

3  してみると、申請人には被申請人の主張するような各懲戒事由はいずれも存在しないということになる。

四  被保全権利の存在

以上判断したところからすると、申請人のその余の主張につき判断するまでもなく、本件懲戒解雇の意思表示は、懲戒解雇事由がないのにあるものとしてなされたもので、その効力を生ずるに由なく、申請人はなお被申請人会社の従業員たる地位にあるというべきである。また、《証拠省略》によると、申請人が昭和四九年四月、五月、六月に支払を受けた賃金の平均が月額金一三万〇七〇九円(円未満切捨、以下同じ。)であること、被申請人は解雇以後申請人の就労を拒否していること、被申請人の賃金の支払期日が毎月二五日であること(この点は当事者間に争いがない。)、申請人は同年八月分以降の賃金の支払を受けていないこと、申請人は同年七月一五日に夏季一時金として金三一万〇〇八一円の支給を受けることになっていたことが一応認められ、右認定を覆すに足りる資料はなく、右事実によると、申請人は夏季一時金三一万〇〇八一円と同年八月以降は毎月二五日限り金一三万〇七〇九円の支払を受くべき賃金請求権を有しているというべきである。しかも、前記認定のような事情からして、被申請人の就業拒否による申請人の休業は、民法五三六条二項の「債権者の責に帰すべき事由によるもの」と認めることができるから、申請人は賃金全額の支払請求権を有するというべきである。これに反する被申請人の主張は採用することができない。

五  保全の必要性

《証拠省略》によると、申請人は妻と三人の子供を抱え、妻はパートタイマーとして一年のうち六ヶ月間位働いているとはいうものの、その収入は少なく、主として申請人の被申請人から支給される賃金と他からの借金で生活し、夏と冬のボーナスはその借金の返済にあてるという状態であり、他に格別の資産もなく、右賃金の支払がなければ生計を維持することができず、著しい損害を蒙るおそれがあることが一応認められる。

六  結論

よって、申請人が被申請人の従業員たる地位にあることを仮に定めるとともに、被申請人が申請人に金三一万〇〇八一円と昭和四九年八月以降本案判決確定に至るまで毎月二五日限り金一三万〇七〇九円の仮払を命じた主文第一項記載の仮処分決定は相当であるからこれを認可することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 奥輝雄 裁判官 横山敏夫 倉谷宗明)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例